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【名誉県民】長谷川 四郎

長谷川 四郎(はせがわ しろう)
 明治38(1905)年1月7日~昭和61(1986)年8月7日
 顕彰日/昭和61(1986)年8月6日

事績

 明治38(1905)年1月に群馬県山田郡大間々町(現みどり市)で辰之助、テルの三男として生まれる。大間々尋常小学校を卒業後、日本一の魚屋を夢見て地元の魚屋で働き、その後独立し、「魚丈」を開業。順調に業績をあげ、昭和11(1936)年に株式会社長谷川商店に改組、昭和18(1943)年に群馬県魚介配給株式会社取締役社長となる。
 昭和22(1947)年4月に行われた戦後初めての群馬県議会議員選挙に立候補、初当選し総務、土木委員長の要職を歴任し、カスリン・アイオン台風による災害復旧などに尽力し、戦後の郷土復興の重責を担った。
 昭和24(1949)年1月に実施された第24回衆議院議員選挙に出馬、初当選し、以後、昭和58(1983)年12月に実施された第37回衆議院議員選挙まで連続して14回の当選を果たした。民主党公認候補として初当選したが、その後、国民民主党、改進党、日本民主党を経て、昭和30(1955)年11月の保守合同による自由民主党の結成に参加した。
 昭和32(1957)年1月、石橋湛山内閣の誕生に貢献し、通商産業政務次官に就任した。その後、衆議院商工常任委員長、自由民主党副幹事長、衆議院農林水産常任委員長などを歴任した。この間、ギリシャで開かれた列国議会同盟会議に日本の議員団長として出席し、核兵器の製造禁止などを訴えた。
 昭和42(1967)年1月には、自由民主党国会対策委員長に就任、昭和43(1968)年11月、第2次佐藤栄作内閣の農林大臣で初入閣し、「総合農政」を推進した。特に、昭和44(1969)年7月に開催されたニクソン政権発足以来初めての日米閣僚会議となる第7回日米貿易経済合同委員会に福田赳夫大蔵大臣、大平正芳通商産業大臣などとともに出席し、日米農産物交渉に大きな役割を果たした。さらに、米価問題などの困難な課題にも積極的に取り組んだ。
 昭和47(1972)年1月に衆議院副議長に就任。昭和51(1976)年12月に福田赳夫内閣の建設大臣として2度目の入閣を果たし、水資源の確保と住宅問題を最重点課題として取り組むとともに、懸案であった北関東自動車道の事業に着手するなどの業績をあげ、昭和53(1978)年には勲一等旭日大綬章を受章した。
 わが国の発展のため、長年にわたり国政の場で活躍し、本県の政治、経済の振興にも多大な役割を果たし、その偉大な功績の数々は、群馬県民の誇りとするところである。

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